2019年6月22日土曜日

[LIVE] 転がる石 蹴飛ばす夜

 打ち上げでプロテストソングの話になった。伝え切れなかったことをここに記しておきたい。前提として、音楽で社会と関わろうとする必要はない。私たちは普段の生活のなかで既に嫌というほど社会と関わっている。上司に、取引先に、家族に、気を使いながら生きている。せめて歌を歌うときはだけは、世の中のこと、政治のことから離れて好きなことを歌いたい。その気持ちは理解できる。

 ここでいう「社会」を「意味」と置き換えてもいいだろう。普段私たちは言葉を<意味を伝達する機能を持った道具>として社会の中で使用している。しかし言葉は本来もっと自由なものである。言葉を意味の世界から解放するために音楽や詩はあるのだともいえる。詩は言葉のダンスだ。詩のなかにまで意味を持ち込みたくない。むしろ意味から自由であることこそが、意味で充満したこの社会への最大のカウンターパンチなのだ。まったくその通りだと思う。

 日常生活から解き放たれて、意味に捉えられる前の、魔法としての言葉をメロディにのせて発音する。それを実現できる環境、ライブハウスがあることは素晴らしいと思うし、そこに週末出演することで救われているひとはたくさんいるだろう。実際そういう非営利ミュージシャンたちが本当の意味で日本の音楽文化をボトムで支えているのだと思う。CDを買ったりライブを見に行ったり熱心に機材を買っているのはこういう人たちだ。最近とあるプロ?のバンドマンがブログで「このままだと別の仕事で生計を立てて土日だけライブをやる週末バンドマンになってしまう〜」みたいなことを書いていたが、私は不快だった。週末バンドマンで何が悪いのだろう。大事なことは何で生計を立てるかではない。どんなライブをするか、どんな作品を作るか、その中身が素晴らしいかどうかだけだ。

 社会から解き放たれて、意味から解き放たれて、もちろん「売れる」ことからも解き放たれて、自分の音楽を演奏する。そのとき、その一曲は社会と同じ重さで釣り合っていることだろう。ライブハウスは狭いが、その場所が許容するものは社会よりもずっと広いのだ。だが、しかし……と続けなければならない。チケットノルマさえ払えばどんな退屈な演奏をしてもいいと勘違いしている出演者はいないだろうか。ただ表現が稚拙で伝わらないだけの歌詞を「抽象的な世界観」だと履き違えているソングライターはいないだろうか。仲間たちとの馴れ合いのなかに首までどっぷり浸かり、客席が見えなくなってしまっているミュージシャンはいないだろうか。自分を認めるということは、成長しなくていいということではない。自由であろうとすることは、怠惰であることとは違う。ありのままの自分でいられる居場所なんてどこにもない。そこには常に他者がいる。そして、それは絶望ではなく希望なのだ。そこに客席があり、自分以外の誰かが座っている。それが希望でなくて何なのだろう。自己慰安のシェルターに安住してはいけない。他者と出会わなければ。他者に語りかける言葉を持たなければ。

 この国では抒情詩に対して叙事詩が不当に貶められてきた。実際の出来事や現実社会よりも、心象風景や内面を表現した作品のほうが「文学的」だと考えられてきた。私にはそれが、この国に民主主義が根付かなかったことと同根の問題であるように思えてならない。自分の宇宙のなかをぐるぐると泳ぎ続けることが、表現? 自分の生活を大事にすることが、最大のプロテスト? その結果がこれだ。私は一人の詩人として、無意味でなく意味でもって、破壊でなく構築でもって、絶望でなく希望でもって、この社会に向き合いたい。それはもちろん勝ち目のない戦いでもある。ウディ・ガスリーは失意のうちに病で倒れ、フィル・オクスは首を吊って死んだ。ボブ・ディランは「プロテストソングの貴公子」であることを拒絶し、エレキギターを持って終わりのない旅へ出た。岡林信康は隠遁し、ブルーハーツは重圧に耐えきれず転向した。忌野清志郎は「スローバラード」や「トランジスタラジオ」だけを歌っていてくれ、と言われてしまった。それはもちろん勝ち目のない戦いでもある。もう勝敗はついている、とさえ言えるのかもしれない。

 それでも私はこの暗闇を孤立無援のまま歩いていくしかない。なぜか。一人の人間が社会に対峙しようと立ち上がるのを見るとき、胸が打ち震え、涙がこぼれるからだ。それがどんなに茨の道であろうとも、そこに、自分の生きる歓び、歌う理由があるからだ。そして知るのだ。一人きりで歩いていると思ったその道に、それでも先人たちが灯した小さな明かりがかすかにゆらめいていることを。自分の足元に、斃れていった無名の詩人たちの遺した言葉があることを。私は歌を作り続ける。社会に向かって、自分に向かって、いつかライブハウスで出会うだろう、まだ見ぬあなたに向かって。ほんの少しユーモアも添えてね。

 優れたミュージシャンの演奏は、自分の抱えている苦しみや悩みをその瞬間だけ忘れさせてくれる。そういう経験は私にもある。音楽の持つ力だと思う。それでも私は、ここではないどこかへ連れて行くための音楽ではなく、ここで戦うための音楽を聴きたい。忘れるためではなく、思い出すために。逃げるためでなく、立ち向かうために。今日一日この場所で踏ん張るための音楽を、もっともっと聴きたい。

2019年6月20日(木) 学芸大学APIA40
1. ディズニーランドで
2. ユニバーサル・スタジオ・ジャパンで
3. あの街(新曲)
4. 誰かがカラーコーンを
5. おやすみ
6. 結婚なんてぶっとばせ
<アンコール>
7. おかえり