2020年3月4日水曜日

[LIVE] COME BACK TO MY HEART

『豊田ヒデノリ1stアルバム「COME BACK」発売記念ライブ〜豊田のひな祭り〜』
2020年3月3日(火) 学芸大学APIA40
1. あきらめてからが東京
2. ディズニーランドで
3. ユニバーサルスタジオジャパンで
4. 結婚なんてぶっとばせ
5. アメリカ
6. そこの穴じゃない

豊田ヒデノリ1stアルバム「COME BACK」完成に寄せて
〜ライブレポート"PLAY BACK! APIA40”再録〜

 2006年9月14日、渋谷アピアで友川カズキの前座をつとめたミュージシャンを憶えている人間は誰もいないだろう。豊田英紀と松浦キノコである。共に将来を期待された二人だったが、若さゆえの不安定な衝動をコントロールできず、その後失速。花火のように散ることもできず、ひっそりと人前から姿を消していった。よくある話だ。出会いのスクランブル交差点、ライブハウス。時が経ち、他でもないそのアピアで二人が再会することを、暗闇のなかにいる彼らはまだ知らない。

 豊田ヒデノリが豊田英紀だった頃、私は松浦健太ではなく松浦キノコだった。共演したのは一度きりだが、それでも彼のことを憶えているのは、友川カズキの前座で一緒になったから、というだけではない。当時彼がネット上に公開していた日記のなかにあった<ゴキブリも俺も同じだ/だけど俺には羽根がない>という一節に、私が激しく撃たれたからである。慰めに自分とゴキブリを比べたあとにつぶやく、自分には空を飛ぶことさえできないという苦い認識。己の無力感を鮮やかに照らした彼の若さゆえの名言を、私は忘れられなかった。次に会ったら、これで一曲作るべきだと伝えよう。そう思いながら、しかし私たちはあまりに遠回りをしてしまったのかもしれない。気が付けば十年以上の歳月が流れていた。

 私はアピアで出会った女性との間に子供を授かり、結婚し、さらに昨年アピアのスタッフになってしまった。人生である。何が起こるか分からない。そして年が明け、ある日の出演者オーディション終了後、店長・玲育さんに「今日オーディション受けてたの豊田英紀だよ」と言われ、私は驚いてしまった。激情型フォーク少年といった当時の印象とはガラリと変わり、チンピラホスト風ブルースマンになっていた彼に、私はまったく気が付かなかったのである。だが、垢抜けたのは外面だけで、彼の内側にあった燃えるような「四畳半魂」は決して消えていなかったことを、復帰後の彼のライブを見て私は思い知った。

 2017年5月15日、この日も彼はピアノにしがみつくように、何度もつんのめりながら、鬼の形相で彼のブルースを演奏していた。いや、それは「演奏」と呼べるほど上品なものではなかったかもしれない。客席に汗を飛ばしながら、己自身の空洞から決して目をそらすまいと、暗闇に向かって吠え続ける泥臭いステージ。いつかとけるのが魔法なら、とけない魔法はなんという。ブルースに呪われた男。すべてから逃げ出しても、音楽からは逃がれられなかった男。彼は祈るように、まるで哀願するように繰り返し歌った。もう一度ここからはじめよう。もう一度ここからはじめよう、と。復帰三度目のライブにして、椅子を断ちスタンディングで披露された「逆走ブルース」のギターが鳴り止むと、今度は客席からの歓声と拍手が鳴り止まない。彼が激しく弦をかきむしるたび、舞台から風が吹いてくるような、迫力のパフォーマンスだった。

 十年前、「早く何らかの伝説を残して死にたいな」と書いた彼と、「27歳で死にたい」と歌った私は、何も残すことができず、それでも死にきれず、のうのうと生きのびてしまった。かつて<期待の若手ミュージシャン>だった二人も、もう30代である。ドント・トラスト・アンダー・サーティと嘯きながら、人生という敗者復活戦、その途方もないトーナメント表の前で足がすくむたび、みずからの運命に喧嘩を売り続ける彼の姿が、私にはたまらなく心強い。ゴキブリも俺も同じだ。だけど俺には歌がある。ギターで出来た人力飛行機で、私たちはもう一度大空へと挑戦する。

(初出 LIVEHOUSE APIA40 アコースティック情報誌「あたふた」Vol.225 2017年7月号)